磯子駅の西側にある高台。
現在は大規模マンション「Brillia City 横浜磯子」が建っていますが、ここにはかつて横浜プリンスホテルがありました。しかし、磯子駅前を歩いてみると少し不思議に感じます。


横浜駅や桜木町のような繁華街でもなく、大きな観光地があるわけでもありません。
なぜ、この磯子にプリンスホテルがあったのでしょうか?
実はホテルより先に「別邸」があった
話は横浜プリンスホテルができる前までさかのぼります。
この高台には1937年、旧東伏見邦英伯爵別邸が建てられました。
東伏見邦英伯爵の保養のために造られた建物で、現在も「貴賓館」として残っています。横浜市の歴史的建造物にも認定されています。


つまり、この場所はホテルができたから特別な場所になったのではなく、もともと別邸が建てられるほど魅力のある高台だったのです。


この眺望こそ、この場所最大の価値だったのでしょう。
1954年、横浜プリンスホテルが開業
旧東伏見邦英伯爵別邸のある一帯に、1954年10月、横浜プリンスホテルが開業しました。横浜市の歴史年表にも「旧東伏見邦彦伯爵別邸、横浜プリンスホテルとして開業」と記録されています。
その後、1990年から旧別邸はホテルの「貴賓館」として、結婚式や会食などに使われるようになりました。
つまり横浜プリンスホテルは、
「繁華街に宿泊客を呼ぶ都市型ホテル」
というより、
「横浜の海を望む高台そのものを楽しむホテル」
という性格が強かったと考えると分かりやすそうです。
その後、巨大なホテルへ
後年の横浜プリンスホテルは、建築家・村野藤吾が設計した大規模なホテルへと建て替えられ、磯子のランドマーク的存在となりました。
横浜市の資料でも、旧横浜プリンスホテルは単なる宿泊施設ではなく、地域住民の交流の場としても機能していたとされています。
しかしホテルは2006年6月に営業を終了。その後建物は解体され、跡地は現在のBrillia City 横浜磯子へと再開発されました。
では、なぜ横浜プリンスホテルは閉館したのか?
2000年代半ば、西武グループは大規模な経営再建の真っただ中にありました。
2005年3月期時点で、グループ全体のネット有利子負債は約1兆3,500億円。2008年3月期までに1兆円以下へ削減する計画が掲げられていました。さらにプリンスホテル単体も、2005年9月末時点で株主資本が約41億円のマイナスとなっていました。
そのため西武グループは、不採算施設や保有資産の整理を進めます。
横浜プリンスホテルもその対象となり、2005年には売却方針が正式に公表され、翌2006年に営業を終了しました。西武鉄道の有価証券報告書でも、横浜プリンスホテル売却などにより資産圧縮を進めたことが記されています。
まとめ
磯子にプリンスホテルがあった理由は、駅前が栄えていたからではありませんでした。
海を一望できる高台と、もともと別邸が置かれていた由緒ある土地。
現地でこの眺望を見れば、なぜここにホテルが建ったのか少し納得できます。

