その1、その2の謎を時系列でまとめてみる
新丸子400年の歴史
《江戸時代》:江戸と平塚・小田原方面を結ぶ重要な街道中原街道が通っていた
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街道の途中に多摩川があり、渡し場として街道の拠点となる
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《明治時代》渡し場周辺に「茶屋」「旅籠」「飲食店」ができ、人が集まるようになる
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《1889年:明治22年》丸子橋(木橋)が完成。渡し船から橋へ変わったことで、人や荷物の流れがさらに増える
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《大正時代》多摩川が景勝地・行楽地として人気になる。「川遊び」「花見」「料亭」が栄え巨大料亭「丸子園」が誕生。京浜地区有数の遊び場となる
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《1926年:昭和元年》東横線・新丸子駅開業。都心から電車一本で遊びに来られるようになり、さらに発展。
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《昭和初期》には新丸子三業地(花街)多摩川スピードウェイができ最盛期を迎える※三業とは接待・宴会・芸事を楽しむ上品な社交
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《1944年:昭和19年》南武線武蔵小杉駅誕生、翌年東横線武蔵小杉駅誕生
戦災で丸子園や花街が大きな被害を受け、武蔵小杉駅は工場の街として栄え始める
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《2000年代前半》武蔵小杉駅が再開発され現在のようなタワマン・大型商業施設街になり始める
こうして見ると、新丸子は「渡し場」「景勝地」「歓楽街」と時代ごとに姿を変えながら発展してきた街であり、武蔵小杉は「工場の街」から「再開発の街」へと大きく変貌したことが分かります。現在は武蔵小杉が主役に見えますが、その歴史の長さでは新丸子が大きく先輩なのです。
