根岸駅から歩いて10分ほどの場所に、巨大なプール施設があります。その名も横浜プールセンター。
かつては「マンモスプール」の愛称で親しまれ、夏になると多くの人でにぎわった横浜を代表する大型プールでした。現在は営業休止となり、周りをテニスコートとして利用されてるにすぎません。
しかし、ここで一つ疑問があります。集客力が特に高いわけではない根岸駅付近に、なぜ横浜市はこれほど巨大なプールを造ったのでしょうか?

その理由を考えるには、1960年代の根岸周辺で何が起きていたのかを見る必要があります。
根岸には、もともと「海で遊ぶ文化」があった
現在の根岸駅南側を見ると、巨大な工場やタンクが並ぶ工業地帯が広がっています。
しかし、昔からこの姿だったわけではありません。
かつての根岸湾沿岸は、海水浴場や別荘地として知られた風光明媚な場所でした。磯子区の歴史資料にも、かつてこの一帯には海水浴場があり、海苔の養殖なども盛んだったことが記録されています。
ところが高度経済成長期に状況が大きく変わります。根岸湾では大規模な埋め立てが行われ、海だった場所に工場や製油所などが次々と建設されました。
つまり、
海で遊べた根岸
↓
海を埋め立てる
↓
巨大な工業地帯になる
という大変化が起きたわけです。
そして根岸線が開通する
さらに1964年には、根岸線の桜木町~磯子間が開業します。
その翌年の1965年7月1日、横浜プールセンターが原町に開設されました。
この時系列を見るとなかなか興味深いものがあります。
1961年ごろ~ 根岸湾の大規模埋め立て
1964年 根岸線開業
1965年 横浜プールセンター開業
まさに根岸周辺が、海辺の町から工業都市・住宅都市へと姿を変えていた時期なのです。
海を失った街に造られた巨大プール
ここからは明確に「横浜市がこの理由でこの場所を選んだ」と断定できる資料は確認できません。しかし、当時の状況を並べてみると非常に分かりやすくなります。
・根岸湾の埋め立てによって、それまで身近にあった海水浴の場所が失われていく。
・高度経済成長によって横浜市の人口は増加し、市民が休日を楽しむためのレジャー施設も必要になっていく。
・新しく根岸線が開通し、大勢の利用者を鉄道で運べるようになった。
そこに造られたのが、巨大な横浜プールセンターだったのです。
つまりマチオは、「工業化によって失われた海辺のレジャーを、人工の巨大プールで補う役割があったのではないか」と考えます。
なぜ「ここ」なのか?
さらに立地を見ると納得できます。横浜プールセンターがあるのは根岸駅から近く、しかもかつての海岸線にも近い場所です。
つまり、
昔から海と親しんできた地域
+根岸線開通による交通アクセス
+高度経済成長期の人口増加
+巨大なレジャー施設を造れる土地
という条件がそろっていました。
現在の横浜市の都市計画でも、横浜プールセンターを含む堀割川河口周辺は「水の拠点」とされ、スポーツ・レクリエーションゾーンとして位置づけられています。
そして現在は営業休止中
横浜プールセンターは施設の老朽化などによって現在営業を休止しています。しかし、完全に廃止されたわけではなく、横浜市では再整備について検討が続けられています。
かつて海だった根岸湾を埋め立てて巨大な工業地帯を造り、そのすぐそばに市民のための巨大プールを造った。こう考えると横浜プールセンターは、単なる夏のレジャー施設ではありません。
「海辺の町」から「工業都市」へ変わっていった根岸の歴史を象徴する施設の一つ
とも言えるのではないでしょうか。

閉鎖された寂れた感があるが、復活に期待したい!
