現在では武蔵小杉駅周辺が川崎市を代表する繁華街となっていますが、実は昭和初期までは新丸子周辺の方が人で賑わっていました。
その理由は、多摩川を渡る「丸子の渡し」と「中原街道」です。
丸子の渡しは江戸時代から昭和9年(1934年)まで、東京と神奈川を結ぶ重要な交通手段でした。中原街道を行き交う旅人や商人、荷車はこの渡しを利用し、新丸子周辺には旅籠や茶屋、商店などが集まり、大いに栄えました。さらに昭和初期には料亭や芸妓が集まる「新丸子三業地」も形成され、最盛期には約25軒の料亭と100人近い芸妓がいたと伝えられています。
しかし、1934年に丸子橋が開通すると渡し船の役目は終わり、人や物流の流れは大きく変化します。さらに戦後はJR南武線と東急線が交わる武蔵小杉駅周辺の開発が進み、商業や行政の中心は武蔵小杉へと移っていきました。
つまり、新丸子は「武蔵小杉の陰に隠れた街」ではありません。むしろ武蔵小杉が発展する以前、新丸子駅周辺がこの地域の中心だった街なのです。今でも活気ある商店街が残っているのは、その長い歴史の名残と言えるでしょう。
