港町駅。名前だけ聞くと、海沿いに港がありそうな駅名です。ところが実際に駅前を歩いてみても、港らしい景色はありません。見えるのは多摩川、タワーマンション、川崎競馬場。
海も港も見当たりません。では「港町」の港は、一体どこにあるのでしょうか?
実は「港を造る計画」があった
答えにつながるのが、港町の多摩川沿いに残る川崎河港水門です。


第一次世界大戦後、工業化が急速に進んだ川崎では、工場用地の不足や物資輸送への対応から、大規模な運河・港湾計画が進められました。
その計画の入口として造られたのが川崎河港水門です。1926年に着工し、1928年に完成しました。高さ約20mもある非常に立派な水門です。
この水門から川崎区内を横断する大きな運河を造り、その両側を工場用地として開発する構想でした。
1935年には幅33~40mにもなる大運河計画として認可されています。
しかし「港町」は完成しなかった
ところが、その後は計画予定地に工場や住宅が建ち始め、さらに戦時体制へ突入。社会情勢も大きく変わり、1943年に運河計画は廃止されました。
つまり、水門は造った。
でも、その先に続くはずだった運河は造られなかった。
ということです。
現在残っている川崎河港水門を見ると、その規模の大きさに対して、水門の奥に巨大な港や運河が続いていないため、少し不思議な光景に見えます。
実はこれこそが、幻に終わった川崎大運河計画の入口だったわけです。
そして「港町」という名前だけが残った
1937年、この川崎河港水門にちなんで「港町」という町名が誕生しました。
現在の港町は、これから港になるはずだった場所だったから「港町」になった。
ところが、その肝心の運河計画は中止。その結果、港はできなかったのに、「港町」という地名だけが残ったという、ちょっと不思議な状態になったわけです。
