【生麦駅】利用者は多いのになぜ発展しない?開かずの踏切と工場群の街を歩く

生麦駅と駅前商店街、開かずの踏切を組み合わせたアイキャッチ画像

京浜急行の各駅停車駅「生麦駅」

1日の利用者数は約28,000人。隣の花月総持寺駅や新子安駅が約7,000人前後であることを考えると、その約4倍にあたる利用者数を誇ります。ちなみに急行停車駅である京急鶴見駅でも約30,000人ほどなので、生麦駅は各駅停車駅としてはかなり大規模な駅と言えるでしょう。
※京急電鉄・2024年度駅別乗降人員

これだけの利用者数があるのなら、駅前の発展は期待してしまいます。

しかし実際に降り立ってみると、駅前はどことなく地味な印象。大型商業施設はなく、賑やかな商店街も見当たりません。生麦駅を日常的に利用しない人にとっては、京急線で通過したことはあっても、実際に降りたことはない駅かもしれません。

横浜駅までは約10分、京急川崎駅もすぐ近く。立地だけを見れば、もっと大きな街になっていても不思議ではありません。

ではなぜ、生麦駅は利用者数の割に発展しなかったのでしょうか。

今回はそんな生麦駅を歩きながら、街の歴史や利便性、住みやすさをチェックしていきます。

駅前はロータリーなどがなく、駅そばの路地が狭く車もつけにくい。

 

駅の名前の由来は

📜名前の由来は地名から

生麦駅の名前は、開業当時の地名である「生麦村」に由来します。

「生麦」という特徴的な地名がどのように生まれたのかについては諸説あり、はっきりとした由来は分かっていません。

駅の近くにはキリンビール横浜工場があるため、「麦の産地だったことと関係があるのでは?」と思ってしまいますが、工場が進出したのは地名が生まれた後のことです。

キリンビールがこの地に工場を建設した背景には、横浜港や鉄道に近く、原料や製品を運びやすい立地だったことがあります。

「生麦」という地名の街に大規模なビール工場があるのは、偶然とはいえ不思議な縁を感じさせます。

街の住みやすさを評価

  • 💰家賃相場  ★★★☆☆ 京急沿線都心寄りで平均的
  • 🚃交通利便性 ★★☆☆☆ 単一路線各駅停車
  • 🚗車利用   ★★★★★ 高速・主要道路が近い
  • 🛒ショッピング★★☆☆☆ 商店街があるが地元限定
  • 🍜グルメ   ★★☆☆☆ 飲み屋系は多い
  • 🛡️災害安全度 ★★☆☆☆ 海から近い。広域避難場所も遠い
  • 🏥生活インフラ★★☆☆☆ 病院系・公園が少ない

 

こんな人におすすめ!居住者タイプ別評価

  • 単身男性   ◎  物件手頃で豊富
  • 単身女性   △  飲み屋系が多く、夜間の雰囲気は好みが分かれる
  • カップル   ○  通勤便利
  • ファミリー  △  道路多く公園少ない・工業地域に近い
  • 学生     ○  娯楽施設少ないも横浜川崎の間
  • 高齢者    ○  昔ながらの生活圏だが、踏切や坂道には注意
  • 外国人    ○  比較的手頃な物件が見つけやすい

商店街・商業施設

《生麦駅前通り商友会》

生麦駅前通り商友会は、生麦駅の東口から国道15号側へ延びる昔ながらの商店街です。わずか100mほどしかなく、飲食店や生活サービス店などが並ぶもののシャッターが閉まったままの店も多く見られます。踏切を渡った先にも、飲食店などが点在しています。

 

見どころ・散歩スポット

《キリンビール 横浜工場》

キリンビール横浜工場は、生麦駅から徒歩圏内にある大規模なビール工場です。横浜・山手で誕生した日本初期のビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」を源流とする歴史ある工場で、現在も生麦を代表する施設の一つとなっています。

予約制の工場見学では、原料や仕込み、発酵、ろ過、パッケージングなど、ビールが完成するまでの工程を学べます。見学後には、20歳以上を対象としたビールの試飲も用意されています。敷地内にはレストランもあり、工場でつくられたビールと料理を楽しめる観光施設としても利用されています。

生麦駅周辺には大規模な観光施設が少ないため、キリンビール横浜工場は、地域外から人を呼び込む貴重な存在です。一方で、工場の敷地が広く、海側の土地利用に大きな割合を占めていることから、生麦が「住宅街でありながら工業地帯の玄関口でもある」ことを象徴する施設ともいえます。

工場見学だけでなく、敷地内のレストランも人気があります。利用する際は、事前に営業日や予約状況を確認するのがおすすめです。

 

《生麦事件碑》

生麦事件碑は、1862年に旧東海道で起きた生麦事件を伝える石碑です。薩摩藩の行列とイギリス人一行との間で起きたこの事件は、翌年の薩英戦争へと発展しました。碑は事件から約20年後、犠牲となったリチャードソンを悼み、事件を後世に残すために建立されています。なお、実際の事件発生場所は石碑の場所ではなく、少し離れた住宅街の道路沿いにあります。

静かにたたずむ事件碑

発生場所は少し離れた道路沿いになっている

生麦駅前 5つの謎にせまる

💡【生麦駅前の謎その1】なぜ生麦駅前は発展しなかったのか?

隣の花月総持寺が再開発、反対側の新子安がタワマンが建ったなど利用者数と反比例するようにこの街は発展しませんでした。その要因は4つ

① 工場・物流施設が多く、発展の余地が少ない

 一般的な駅では、駅周辺のまとまった土地に商業施設やマンションが建ち、そこから街が発展していきます。

ところが、生麦駅の海側にはキリンビール横浜工場をはじめ、工場、倉庫、高速道路などの大規模施設があります。

工場は地域の雇用や知名度を支える重要な存在ですが、広大な敷地の内部に商店街が形成されるわけではありません。そのため、駅から海側へ向かう人の流れが、そのまま商業地の拡大には結びつきにくかったのでしょう。

②開かずの踏切による街の分断

生麦駅の周辺には京急線だけでなく、JR東海道線や京浜東北線などの線路も並んでいます。駅の東西を移動できる場所が限られているため、駅を中心として人の流れが広がりにくい構造です。

特に駅近くの踏切は交通量が多く、列車の通過によって人や車の移動がたびたび止められます。

駅の東側と西側が一体化しにくく、それぞれ別の生活圏になっていることが、まとまった駅前商業地を形成しにくかった一因と考えられます。

国道15号の反対側に行くには3回踏切を横断しなければならない。車での横断は特に注意が必要だ

京急の踏切とJR踏切の間にある歯医者。ふみきり歯科とはなんとも自虐的なネーミングセンスだ。

 

③第一京浜(国道15号)が壁になっている

駅の種類で言うと幹線道路平行型駅となる。このようなタイプの駅では幹線道路で街が分断されてしまい、線路と幹線道路の間にしか発展要素が無い。そのため住宅・商業地の発展場所が限定的になってしまい発展しにくいのが特徴である。

駅のすぐそばにある幹線道路国道15号。通称第一京浜と呼ばれる交通量の多い道路。この道路と線路の間が100mもないため発展する土地が限られてしまう。

 

④北西側が丘陵地で平地が少ない

道路と反対の土地は丘陵地になってしまい発展しにくい。大きなマンションなども建ちにくく、戸建てがメインとなってしまい静かな住宅街となってしまう。また商店街出たところに寺があるのも発展しにくい要因でもある。

商店街出たところにある安養寺。その向こうの住宅が小高くなってるのが確認できる。

 

💡【生麦駅前の謎その2】 なぜ「生麦事件」はここで起きたのか?

生麦事件が起きた場所には、幕末ならではの条件が重なっていました。

当時の生麦には、江戸と京都を結ぶ旧東海道が通っており、大名行列の主要ルートになっていました。一方、横浜港の開港後は、外国人居留地から川崎大師へ向かう外国人もこの道を利用していました。

事件当日、島津久光の大名行列と、馬に乗ったイギリス人4人が、生麦の狭い街道で正面から遭遇します。日本側には大名行列の厳しい作法がありましたが、外国人側はそのルールを十分に理解していませんでした。

つまり生麦は、江戸時代の大名行列と、開港後の外国人文化が交差する場所でした。生麦事件は、古い日本の秩序と新しい国際社会が衝突した、幕末を象徴する出来事だったといえます。

 

💡【生麦駅前の謎その3】幻の「キリンビール前駅」とは?

かつて生麦駅と京急新子安駅の間には、「キリンビール前駅」という駅がありました。

駅が開業したのは1932年。キリンビール横浜工場や周辺地域の利用者に対応するため設置された、簡易的な停留所だったようです。現在よりも生麦駅との駅間が短く、かなり近い場所に駅が並んでいました。

1944年には、戦時中に「ビール」という名称が贅沢品を連想させるとして、駅名を「キリン駅」に変更。その後、戦況の悪化により営業を休止し、再開しないまま1949年に正式に廃止されました。

現在、現地には駅があったことを明確に示す設備はほとんど残っておらず、知らずに歩けば、かつて駅が存在したとは気づかない場所になっています。現地を歩いてみましたが、駅があった場所を示す痕跡は見つけられませんでした。

 

💡【生麦駅前の謎その4】なぜ生麦には踏切が集中したのか?

生麦の北西側には丘陵地が迫り、東側には第一京浜があります。その間の平地は狭く、JR線と京急線を離して通す余地がほとんどありませんでした。

そのため、複数の鉄道路線が南北方向の狭い範囲に集中しました。一方、丘陵側の住宅地と旧東海道・海側を結ぶ生活道路は、これらの線路を横断する必要があります。

その交差部分に踏切が設けられ、列車本数も多かったことから、長時間遮断される「開かずの踏切」が生まれました。

つまり生麦の踏切問題は、丘陵と海に挟まれた狭い平地へ、鉄道路線が集中した地形が大きな原因だったのです。

 

💡【生麦駅前の謎その5】なぜ高架化・地下化されなかったのか?

生麦駅周辺が高架化・地下化されなかった理由について、事業者から明確な理由が公表されているわけではありません。そこで、現地の構造や連続立体交差事業の一般的な条件から考えてみます。

理由の一つは、線路の両側に住宅や店舗が密集し、仮設線路や工事用地を確保しにくかったことです。北西側には丘陵地が迫り、東側にはJR線や第一京浜もあるため、線路を移動させる余地も限られています。

また、連続立体交差事業には莫大な費用がかかります。事業化には、踏切による渋滞の大きさだけでなく、除去できる踏切数や主要道路への効果、駅周辺の再開発なども重視されます。

生麦の踏切は地域住民にとって大きな問題でしたが、狭い生活道路との交差が中心で、大規模な幹線道路の渋滞解消や駅前再開発につながる効果は比較的小さかったのでしょう。

つまり生麦は、工事が難しい割に、巨額の費用に見合う広域的な効果を出しにくかったことが、高架化・地下化されなかった大きな理由と考えられます。

 

生麦駅前の今後の展望

生麦駅前では、大規模な再開発によって街が一変する可能性は、今のところ高くなさそうです。

駅周辺は線路や狭い道路、既存住宅に囲まれており、まとまった開発用地を確保しにくい構造です。そのため、駅前広場や大型商業施設を新設するよりも、古い建物の建て替えによってマンションや小規模店舗が少しずつ増えていくと考えられます。

一方、生麦駅は普通列車中心の駅ながら、京急線内では比較的利用者が多く、横浜・川崎方面への交通利便性にも優れています。周辺には旧東海道、生麦事件の史跡、キリンビール横浜工場など、生麦ならではの歴史・観光資源もあります。

今後は大規模な商業都市を目指すよりも、駅周辺の歩きやすさや踏切・道路環境を改善し、商店街と歴史資源を生かした地域密着型の街づくりが現実的でしょう。

生麦は大きく発展するというより、交通の便利な住宅地としての価値を保ちながら、古い街並みを少しずつ更新していく街になりそうです。

 

生麦駅前調査まとめ

生麦駅は、住民や周辺工場への通勤者以外が、わざわざ訪れる機会の少ない場所だと思います。それだけに、駅前の規模に対して利用者数が多いことには驚きました。

生麦駅は、線路と幹線道路が並行し、その間の有効な土地が限られる「幹線道路並行型駅」です。北西側には丘陵地も迫っているため、駅前の開発可能な範囲が狭く、街が広がりにくい構造になっています。

駅前商店街も、住民の日常生活を支える買い物の場というより、通勤者が仕事帰りに立ち寄る店が多い印象でした。特に居酒屋などの飲食店が目立ちます。

さらに、この規模の駅前としては珍しく、パチンコ・パチスロ店が2店舗あります。これも、生麦駅が住宅地の駅であると同時に、工場や事業所へ通勤する人たちの寄り道の場所として発展してきたことを表しているのかもしれません。

生麦駅は、商業地として大きく発展した駅ではありません。しかし、周辺住民と工場通勤者によって支えられ、駅前の規模以上に多くの人が利用する、独特な性格を持った駅でした。 

 

おまけ

恒例となったご当地ランチ。そばっ晴のランチてんぷらそば。1,500円とランチにしてはやや高めですが、納得のボリューム。食べ終えても重たさを感じにくい、満足度の高い一品でした。