鈴木町駅を降りると、駅の目の前に広がっているのが味の素の川崎事業所です。

駅と工場はほぼ一体と言っていいほど近く、京急によれば現在でも鈴木町駅の利用者の8割以上が味の素関係者とされています。
ここまで味の素との関係が深い駅なら、「どうして味の素駅じゃないんだろう?」と思いませんか?
実はこの疑問、半分は当たっています。
鈴木町駅は、もともと「味の素前駅」だった
鈴木町駅が開業したのは1929年(昭和4年)。当時の駅名は現在の「鈴木町」ではなく、「味の素前駅」でした。味の素川崎工場の正門前に駅が設けられたため、そのまま非常に分かりやすい駅名が付けられたのです。
つまり、
「なぜ味の素駅にしなかった?」
→ 実は最初はほぼ“味の素駅”だった。
ということになります。では、なぜ「味の素前」という分かりやすい駅名をやめてしまったのでしょうか。これは年表をまとめてみると見えてきました。
| 年 | 味の素・鈴木町で起きたこと | 記事で効くポイント |
|---|---|---|
| 1909年 | 「味の素」一般販売開始 | 味の素ブランド誕生 |
| 1914年 | 川崎工場が操業開始 | この地が「味の素の街」になり始める |
| 1929年 | 大師線に「味の素前駅」開業 | 最初はストレートに味の素の名を駅名にした |
| 1937年 | 周辺が創業者・鈴木三郎助にちなみ「鈴木町」となる。同年、川崎工場の「味の素」生産量は戦前ピークの3,750t | 「鈴木町」という地名が先に誕生。同時に味の素生産は絶頂期 |
| 1940年 | 会社名を「味の素本舗」から鈴木食料工業へ変更。「味の素」生産量は2,339tまで低下 | 戦時色が強くなり、会社名からも「味の素」が消える |
| 1942年 | 川崎工場の「味の素」生産量が約1,000tまで減少 | 原料・燃料の割当縮小。政府は「味の素」を奢侈品とみていたと社史が記載 |
| 1943年 | 会社名をさらに大日本化学工業へ変更 ※1 | もはや社名から食品会社らしさも消える |
| 1944年初頭 | 原料の小麦・大豆が入らず、川崎工場で「味の素」の生産が完全停止 | ここ重要です。「味の素前」なのに、目の前で味の素を作っていない状態になる |
| 1944年 | 「味の素前駅」→「鈴木町駅」へ改称 | 公式説明は「町名変更に伴い」 |
| 1945年 | 空襲で川崎工場施設の約40%を喪失 | 戦争でさらに大打撃 |
| 1946年2月 | 社名を味の素株式会社へ戻す | 「味の素」という名前が会社に復活 |
| 1946年5月 | 川崎工場で「味の素」の生産再開 | でも駅名は「味の素前」には戻らない |
| 1950年 | 「味の素」の国内自由販売再開 | 味の素は完全復活へ |
※1 大日本化学工業は、ブタノール、アセトン、その副産物を主として製造。社史自身も「うま味調味料製造会社から軍需品製造会社へと転換した」としております。
「味の素前」という駅名は消えた。しかし「鈴木町」という名前そのものが、味の素創業者の名を今に残している。つまり駅名から味の素は消えたようで、実は消えていなかった。
なぜ駅名を戻さなかったのか?
名前を味の素駅に戻さなかった理由を特に明記された資料は見当たりません。
そのため管理人まちおの推測となりますが、
・すでにこの地には「鈴木町」という正式な町名が定着していた
・鈴木は味の素創業者・鈴木三郎助の名前
・また政治的な事情で駅名がたびたび変更されるのも困る
などの理由で「味の素前」に戻す必要がなかったと考えられます。
